愛知県図書館 敷地の今昔
更新日:2025年3月21日
名古屋城三の丸遺跡
現在愛知県図書館が立っている敷地は、旧名古屋城三の丸の西南隅にあたり、江戸時代には尾張藩の重臣の武家屋敷が並んでいました。愛知県図書館の建設に先立ち、1988(昭和63)年に発掘調査が行われ、江戸時代の遺構ばかりでなく、弥生時代から古墳時代の竪穴住居や墳丘墓、奈良・平安時代の集落跡なども発見されています。
参考文献(当館所蔵)
『名古屋城三の丸遺跡 1』 愛知県埋蔵文化財センター/編集 1990年
享保十四酉年名護屋絵図(当館蔵、部分)
「横井也有出生地」
江戸中期の文人・俳人として知られる横井也有(よこいやゆう1702-83)は、当時この地に屋敷を構えていた尾張藩有数の名家横井家に生まれています。名古屋市教育委員会による案内板が立てられていますので、その文を紹介します。

「横井也有(やゆう)出生地
元禄15年(1702)この地で生まれ、名は時般(ときつら)といい、通称は孫右衛門といった。用人、寺社奉行など尾張藩の要職を歴任し、宝暦4年(1754)、53歳の時に病気を理由に隠居し、天明3年(1783) 、82歳で没するまでの30年間、城南前津(現在の中区前津1)の草庵で吟詠自適の生活を送った。多才多能の人で、とりわけ俳文に優れ、尾張俳壇に大きな影響を与えた。代表的著作に「鶉衣(うずらごろも)」がある。
なお、横井孫右衛門家は也有隠居前後に屋敷を現在の中区丸の内二丁目に移した。」

横井也有肖像 『張城尚歯会』(1781(天明元)年、1939 (昭和14) 年写、当館蔵)掲載
参考文献(当館所蔵)
『横井也有全集 上』(『名古屋叢書 3編 第16巻』) 1982年
『横井也有全集 中』(『名古屋叢書 3編 第17巻』) 1983年
『横井也有全集 下1』(『名古屋叢書 3編 第18巻1』) 1985年
『横井也有全集 下2』(『名古屋叢書 3編 第18巻2』) 1985年
「大原幽学出生地」
江戸後期の農民指導者として二宮尊徳とともに著名な、大原幽学(おおはらゆうがく1797年-1858年)の出生地を示す案内板も立てられています。

「大原幽学出生地
江戸末期の農民指導者で、一説に寛政9年(1797)尾張藩重臣大道寺直方の二男として、名古屋城三の丸大道寺邸内で生まれたといわれる。神・儒・仏の三道を究め、一つの学問を開き、名付けて性学または性理ともいった。 天保9年(1838)下総国(千葉県)香取郡長部村八石に先祖株組合を組織し、農村生活の改善に力を尽した。」

大原幽学肖像(大原幽学記念館所蔵)
ただし、幽学が大道寺家の出身である点については、疑わしいと否定する研究者もいます。
参考文献(当館所蔵)
『大原幽学』(『人物叢書』) 中井信彦著 吉川弘文館 1963年
『大原幽学伝』 鈴木久仁直著 アテネ社 2005年
『大原幽学と幕末村落社会 改心楼始末記』 高橋敏著 岩波書店 2005年
名鉄瀬戸線堀川駅跡
愛知県図書館のすぐ南、名古屋城の外堀の中を、かつては名古屋鉄道瀬戸線が走っており、御園橋の西、現在駐車場として使われているところに堀川駅がありました。この「外堀線」は、 1911(明治44)年に開通したもので、城の堀を利用した鉄道は全国でもここだけと言われ、その独特のムードから、「お堀電車」として親しまれていました。「外堀線」は、瀬戸線の栄乗入れにともない、1976( 昭和51)年廃止されましたが、その痕跡はあちこちに残っています。

右の橋が御園橋で、その橋の下の堀の中を瀬戸線が走っていた。左奥が愛知県図書館。2007年撮影。

御園橋から西を望む。写真の中央あたりに堀川駅があった。2007年撮影。

上の写真と同じ場所の1976年の写真。廃止直前の堀川駅。『瀬戸線の90年 われらが「せとでん」激動のドラマ』(郷土出版社発行)掲載。
参考文献(当館所蔵)
『瀬戸線の90年 われらが「せとでん」激動のドラマ』 郷土出版社 1997年
『せとでんの歴史 名鉄瀬戸線史』 前島一廣著 雑論グループ知神 1990年
『瀬戸電開通90周年特別企画展せとでん』 瀬戸市歴史民俗資料館 1995年
『名鉄の廃線を歩く』 徳田耕一編著 JTB 2001年
『せとでん100年』 山田司・鈴木裕幸著 中日新聞社 2005年
『名古屋鉄道社史』 名古屋鉄道 1961年
『瀬戸電鉄沿線案内』 瀬戸電気鉄道 1924年
旧名古屋市西区役所跡
現在愛知県図書館のある場所は、戦前は名古屋市西区に属しており(現在は中区)、上記の堀川駅に隣接した場所、現在公園(景運橋小園)になっているところに、西区役所がありました。この地に区役所が移転したのは大正2(1913)年で、昭和20(1945)年5月に戦災で焼失するまで、区役所が存在しました。

西区役所の前を通過する名古屋市電外堀線。外堀通南側から西方を望んだ大正期ごろの写真。『西区70年のあゆみ』(名古屋市西区役所発行)掲載。

上の写真と同じ場所の現在の写真。名古屋市都市高速道路の出現などで、付近の雰囲気は一変している。写真の右側に愛知県図書館がある。2008年撮影。
大正6(1917)年の『名古屋市街新地図』(駸々堂旅行案内部発行 部分)。左下に堀川駅と西区役所が見える。現在の愛知県図書館は、この地図上の「聯隊司令部」からその右側の「被服庫」の「庫」の字あたりにかけての場所にある。
現在の地図(外部サイトにリンクします)と比較してみてください。
参考文献(当館所蔵)
『西区70年のあゆみ』 名古屋市西区役所 1978年